ゲームプランナーの回顧録4

○チーム増員
 開発開始から3ヶ月後にちゃんとした製作メンバーが合流した。プランナーが3人増え、デザイナーが6〜7人入った。
プログラマーを社内から捻出することができなかったため、プログラムだけは外部に依頼することとなった。ようやく本格的にゲームの中身を作り始める環境となり、プロジェクトが忙しくなりはじめた。

 人が増えたということは、作業の指示を出さなければいけない。初期の作業は、企画の原案から仕様書を作り上げること、デザインのあるキャラクターのゲームデータ作りなどを行った。基本的には前作の流用から作業できるものが多かったのでデザイン、プログラムの作業は問題なく進行していた。企画も早くプログラム側に作るべき物を渡さなければならないのでそういった必要のある作業(ゲームとして必ず必要となる部分)から進めていた。

 最初の一ヶ月はこの流れで進行していた。問題が発生しはじめたのは一ヶ月を超えた辺りからだ。この辺りから各担当で作ったものにボツが多くなった。前述の方向性が定まっていない影響が出てしまったのだ。企画もデザイナーも何を基準にものを作ればいいか分からなくなり、指示する私や上司の発言にもブレがあるため、チーム内の不満も非常に大きくなった。

ゲームプランナーの回顧録3

開発初期2


○クライアントとどう付き合う?

 ディベロッパーの方向性が定まらないという事は、プロジェクトの進行は必然的にクライアント主導で進んでいた。といってもクライアントが率先的に仕切るわけでもなく、ただ単に一番声が大きい人、つまり「俺はこういう事がしたいんだ」という意見を持っていた人間がクライアントの中の一人だっただけだ。
大抵の場合、こういう人が『プロデューサー』という立場にあたる。平たく言うと一番偉い人だ。

 どんな仕事でも共通して言えることだが、クライアントというのは基本的に我侭である。お金を払っているから当然といえば当然だ。ゲーム開発におけるクライアントが言うことは大体こんなことである。


・こんなシナリオにしたい!
・こんなキャラクターを出したい!
・もっと綺麗なグラフィックがいい!
・凄い派手な演出にして!
・なんか面白いシステム考えて or こんな面白いシステム考えた


 実に素晴らしいことだ。個人的にはこういった意見が出てくるというのは良いことだと思ってる。ただ残念ながら、我々には彼らの意見をうまく調理する手段もさらりとかわす技術も持ち合わせていなかった。
 ゲームの企画立ち上げは面白いアイデア出しの機会なので、みんな自分が面白いと思っていること、好きな発言をする。ですが、そういった「面白いアイデア」だけ話し合っても開発工程を作ることは不可能なのだ。大分回りくどくなってきた。

 この三ヶ月間、私たちとクライアントが決めたことは「シナリオ」と「キャラクターデザイン」だった。あと少しだけ「ゲームシステム」。「シナリオ」と「キャラクターデザイン」は前作でもっとも揉めた部分でクライアントのこだわりが非常に強い項目だった。
社外の人間も関わる部分なので早めに取り掛かりたかったという側面もあった。確かに早めにやらなくては間に合わなかった気がするが、結局揉めに揉めて不必要に時間を使うだけだった。


今でもライターさん、デザイナーさんには足を向けて眠れない思いだ。


 私の一番の過ちは、クライアントを信じていなかったことだ。前作の痛い思いが強く「面倒なクライアント」という意識を強く持ちすぎてしまったのだ。結果、彼らを刺激せずに丸めこうとするばかりだった。それも立ち行かなくなるのだが…・・・。

ゲームプランナーの回顧録2

◎開発初期

○企画の立ち上げ

 開発初期、私と上司の二人のチームでクライアントと企画の原案を作っていた。
プロジェクトは続編物で同じ担当だったため、初期の頃は特に難しいことを考える事無く
進行していった。前作の問題点の改善や、どんなシナリオ構成にするか、どういった
要素を追加していくかなどを漠然と詰めていった。 私は主に企画の立案を担当し、
上司は人員の確保などマネージメントの役割で動いていた。


 開発初期は約3ヶ月くらいのスケジュールで、その後から本格的に人員を投入して
作業を開始する計画だった。このプラン自体はさほど問題は無かったと思う。
問題だったのは「3ヵ月後に何を用意出来ているか」であった。この点が二人とも完全に
把握できていなかった。

○プロジェクトの方向性

 私も上司もこのゲームの方向性に関して十分に話し合っていなかった。「続編だから」
という暗黙の了解の下にお互い作業を進めてしまっていたのだ。最初に方向性に関して
もっと深く刷り合わせるべきだったのだ。
 このゲームの「売り」はどこなのか、ターゲットは誰なのか、ユーザーにどう楽しませるか。とてもとても基本的なことだ。こんな当たり前の事が出来ていなかった。


 方向性が定まらなくても時は流れる。クライアントとも打ち合わせをしなくては
ならない。クライアントと折衝するということは、何か成果物を出していかなければいけない。前作の資産を流用しながら少しずつ企画原案が作られていった。が、この企画原案は最終的に殆ど意味を成さないものになった。


 方向性が定まっていないアイデアは使い物にならない。正しいかどうかの基準が分からないからだ。ゲームシステムで遊ばせたいのか、綺麗なグラフィックを魅せたいのか、はたまたシナリオが面白いのか。それが決まっていなければ良いか悪いか判断できないのだ。これは開発中期で散々思い知らされる事になる。

ゲームプランナーの回顧録1

◎はじめに

 私は一年前の二月とあるゲーム会社を退職した。退職するまでに一つのプロジェクトに
プランナーとして深く関わっていた。その時の体験を振り返り、当時の反省点を今後の
自分のために、またこれからゲームの仕事をする人の為になれば光栄である。


○当時の経緯
 そのプロジェクトは、ちょうど前のプロジェクトが終わると同時にスタートした。
前のプロジェクトでの功績が評価され、自分はディレクター兼プランニングリーダー
としてプロジェクトを動かすこととなった。今思うと前プロジェクトの休みを取る暇も
なかったが、責任ある立場を任されることに多少浮かれていたのかもしれない


 プロジェクトは、私ともう一人マネージャー兼デザインリーダーの二人で始まった。
役割上では私の上司にあたる。二人とも企画の立ち上げをするのは初めての経験だった。


 クライアントは以前から付き合いのある相手で、コミュニケーション上でさして問題が
発生するわけではなかった。ただ少しやりにくい部分があるクライアントではあったが
それは後々書くことになる。


 こういった状態でゲームのプロジェクトが始まった。結論から先に書いてしまおう。
この先自分と上司はプロジェクト初期段階で多くの失敗を残すことになる。
ゲームに限らずどんな仕事でも同じだと思うが『初めが一番重要』なのだ。
終わりよければ全てよしという言葉もあるが結果論に過ぎない。終われない事だって沢山あるのだ。


 経緯はここまでにして、開発の話に続く・・・

一年経過

ゲーム業界から離れて一年が経ちました。
自分なりに仕事のこと、ゲームのこと、これからのこと色々考えてました。
一年経ったら書こうと思っていたので、少しずつ書いていこうと思う。


書き始めたら家がドタバタしてきたので続きはまた。

ウィスキー飲みたいね

http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=147013


好きな芸能人は?と聞かれたので石田ゆり子と返しました。
このCMの話すると皆良く分かってくれるよ。グランディスのCMも良いのだけど、流石に見つからなかった……。

誰か知ってたら教えてくれー。